みなさんは富士山をご存知だろうか、
とは聞くまでもないだろう。
この日本の最高点をいつの時代も人々は求め続けてきた。
何故か
日本に勝つためである。
富士山は日本で最も高い場所であるが故、山頂に立ってしまえば日本の全てを見渡せるのである。
即ち山頂への到達は
日本という大地を組み伏せる
ことに直結している。
このため、富士登山とはスポーツセックスに他ならない。
この感覚を遺伝的に受け継ぐ日本人は様々な形で富士への想いを形に遺している。
『風になびく富士の煙の空にきえてゆくへも知らぬ我が思ひかな』
西行が新古今和歌集で詠んだこの詩は、富士山、ひいては日本とのセックス願望と自身の童貞への悔恨の念を融合させた傑作と言えるだろう。
ではなぜくもりの日に登るべきか。
青姦は晴れの方がよいではないか。
ご来光だ。
しばしば仏の姿に例えられるこの暁であるが、人は届かぬものを言葉として形象化する。
日本をイカせてなお触れられぬこの光に、人はパンツを見出す。
隠れている方が、
エロいではないか。
サザンクロス松本
コメント
確かに